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考えごと アーカイブ

影という光。

寒い寒いと思っていたら、
ついに雪が降ってきましたね。

この雪。
福井のイメージの中では、
「影」にあたる部分かもしれません。

でも、この雪は、
「あたたかい田舎」の象徴だったりします。
テレビなどで見る、
雪の中、家に帰って温まるシーンには、
ほっと心のどこかを暖められます。

また、
雪に閉じこめられた世界で、
じっと耐えながら何かに打ち込んできたことが、
福井がもの作りの県である由来であったりします。

いわゆる、
雪という影あることで、
福井に当てられている光が、
あるような気がするのです。

「影がある人」という言い方もありますが、
そういった人は、
人格の中にどこか否定された部分があるからこそ、
魅力的に見える。

僕たちがつくっている広告は、
さもすると、「光」の部分だけを取り上げがち。

「影」を理解することで、
商品や企業の人生に隠れた
より本質の魅力を届けることができるのでは、
と思います。

・・そんなことを書いている間に
さっきまで降り続いていた雪がやみ、
分厚い雲から陽が差してきました。

リスクの見方。

リスクヘッジは、クリエィティブだと思う。

近頃、広告において、リスクヘッジを重視する
クライアントがより増えてきたように感じます。

巨額を投資する際は当然。

かけられるコストが低くなるほど、
かけられる時間が少なくなるほど、
リスク管理は、未来を左右します。

たとえば、ネーミングひとつをとっても同様。
商品開発の過程で商標をとらないことは、
今のネット社会では、万が一の事態を招きます。

商品にもよるけれど、
せっかく開発した機能やサービスが、
ネーミングひとつの商標を怠ったせいで、
水の泡になってしまうこともある。

様々な広告ツールを回収する必要性が生じ、
多額の損害を被ることもある。

家を建てる際に、
「何かあった時のお金」を残すように、
リスクヘッジも必要経費だと考えることは
当然だと思う。

想像すれば、わかることなのだから。

無意識視点変換。

先週末から今週にかけて、
やたらと出張がたくさんありました。

毎日、誰かが県外へ足を運んでいる。

県外クライアントの案件であったり、
県外に展開するクラインとの案件であったり、
または、セミナーのためであったりと、
目的は多彩。

面白いのは、
全国展開する戦略と
県内のみの戦略を同時に担当していると
相乗効果が生まれること。

森をみながら林を見る作業を
意識せずに行えるようになっている感覚があります。

同時にいくつかの仕事をしていると、
アイデアが出やすい。とは
いつかブログで書いた気がしますが、
その感覚ととよく似てるのかもしれません。

優先順位は自分が決めてる。

やらなきゃいけないんだけれど、
やれていないことって、
けっこうあります。

これって、
「やらなきゃいけない」と思いつつも、
結局、自分の中での優先順位が低いんだなと、
最近気付きました。

だって、本当に
「やらなきゃいけない」ことなら、
優先順位は黙ってても上位に来るはずだから。

それが下位にあるのは、
心のどこかで、
「まだいいや」と認識しているんだと思います。

ごはんを食べることを、
後回しにしたりはしませんからね。

つまり、「やらなきゃいけないこと」を
早くやるためには、
優先順位を上げればいい。そういうこと。

自分にとって、
それがどれだけ大事なことかを
自分に対して言い聞かせれば、
いいのかもしれません。

今年も、あと2ヶ月切りました。
やり残しのないように、
過ごしたいものですね。

古くて吸収率のいいスポンジに。

この歳になると、
(最近、この書き出しをよく使うなぁ)
先生が少なくなります。

いや、学校へ行くということではありません。
学ぶ機会が減ってくるということ。

新人や駆け出しの頃は、
見るモノすべてが新しくて、
まさにスポンジみたいに、
いろんなことを吸収できる。

でも、キャリアを積み重ねるほどに、
吸収率が悪くなってくる。

成長してるからじゃないの?
という言葉が飛んできそうですが、
そうではないと思う。

どんな人にだって、
学ぶことは膨大にあります。
どこまで行ったって、
きっと、追求に終わりなんてないはず。

吸収率を悪くしているのは、自分。
「ここまででいいや」とどこかで考えていることが、
原因にほかならないと思う。

つまり、学ぶ機会が少なくなったのではなく、
学ぶ機会と出会う意識が減ってきているということ。

市販のスポンジは使えば使うほどに
吸収率が増していくもの。

歳なんて忘れて、
もっと、スポンジになりきらなきゃ。

置き換えの教育。

自分を誰かに。
そして、誰かを自分に。

表現の仕事で、
あたりまえのように用いる、
「置き換え」という手法。

文章の中の言葉を
そっと差し替えるだけで、
今までそこにあった世界が、
一瞬にして新しくなる。

これって、
実は、教育という必要性の中で
常に、親が子に教えてきたことなのだと、
ふと思いました。

幼い頃、
「された子の身になって考えなさい!」
そんなふうに親に怒られた記憶は、
多くの人が持っているはずです。

言葉を置き換えることで、
視点を置き換える。
そうすることで、
今ここにはない状況を想像する。

想像する作業を、
いたって普通に
わが子に学ばせる親という存在には、
あらためて驚かされます。

子どもを育てたことのない
僕がいうのもなんですが。

日々という機微。

私事になるのですが。
最近、庄野潤三氏の作品に、
しばらく心酔中です。

氏の作品には、
特別なサプライズも、非日常も、まったく出てきません。

「人生は、決して特別なものではなく、
ひとつひとつの小さな、友人や家族との
何気ない交わりの日々である。」

そんな考え方のもと、
訥々とと語られる文章。

1960年代の家族や夫婦を主役にした、
日常の輪郭を、そっと、やさしく撫でるような物語には、
とても共感する部分が多いです。

広告となると、何より優先される「新しさ」。
そこには、同時に「インパクト」という目標が、
無言のうちに掲げられます。

でも、新しい共感は、
未だ見ぬ経験からは決して生じなくて、
当たり前の毎日の体験から創出されます。

そう考えると、
どれだけ、一日の中で、自らや身近な人の感情の機微を、
丁寧に見つめることが大事かがわかり、
どれだけ、自分が真剣に時を送っていないかを、
思い知らされるのです。

「軽い気持ち」の重み。

「軽い気持ちで始めたんですけどね」。

3年ぐらい前から
朝のジョギングを始めた友人。
今でも続いていて、
彼の健康の土台になっているとか。

「軽い気持ち」はあなどれません。

軽く始められるから、
スタート時のプレッシャーがないのです。

しかも、軽く始めたつもりが、
継続させていくことで、
一つの結果としてかたちになってくる。
積み重なって重みが出てくる。

何かとリスクを考えてしまう、昨今。

たとえ、気が重いことでも
後のことは考えずに
「軽い気持ち」でやってみるのは
意外に大切なのかもしれません。

成長のリミッター。

歳をとると、
思い切った行動がとれなくなる。

その理由の一つに、
「この年齢で失敗はできない」という思いが
あるのではないかと思います。

ただ、大きな成長というのは、
失敗がないとできないものでもあります。

何といっても、
行動する前の勉強よりも、
失敗した後の反省のほうが、
得るものは大きい。

体験に勝るものはないですから。

で、あれば、
歳をとっても成長を続ける人というのは
失敗を恐れない人なのかもしれません。

失敗する怖さや、恥ずかしさ。
そんな「思い切った行動」にかけられたリミッターを、
どうやってはずすか。

常にリミッターをはずせる
人間でいたいですね。

疑似体験ツール。

本を読むと、何を得られるか。

あたりまえだけど、
ビジネス書を読むと、
新しい技術や手法や考え方が手に入る。

では小説は?

僕は、小説を読むことで、
未体験の世界が手に入ると思っています。

就いたことのない職業だったり、
行ったことのない国だったり、
出会ったことのない恋愛だったり、
まだ達していない年齢だったり。

もちろん本当の体験に勝るはずはありませんが、
小説を読むだけで、
疑似体験ができます。

最近では、
ブログとかでも同様の感覚を得られるかもしれません。
でも、発信者という明確なる主体が存在するブログは、
自分が体験している感覚を得られるかというと、ちょっとムズカシイです。

ひと一人が生きられる時間は限られていて、
同様に、体験も限られる現実のなかで、
疑似でありながらも、いろんな体験をもたらしてくれる
「小説」というシロモノは素晴らしい道具だと、
あらためて思っています。

いろんな体験が、共感を勝ち取るための
強い武器となる広告の仕事においては、特に。

コンセプトは決断を整理する。

人生は決断の連続とは、
よく言われる言葉。

確かに、
一日を分解すると、
些細なことから、大きな案件まで(自分的に)
いろんな決断を行っています。

「む、起きようかな・・・。でも、寒いし。起きようかな」
というような布団の中での小さな葛藤から、
「ありゃ、雨が降りそう。傘もっていこかな」
というような空を見上げてのひとり争議や、
「右側に人が歩いてる。飛び出してきそう。よけとくか・・・」
というような道路上での選択まで、
日常を見直すと、決断ばっかり。

生きることは、決断していること
と言い換えられるくらいな状況であることに気付きます。

ふだんはこれらのことに、
何かと行き当たりばったりで向き合っている自分。

しかしもし、軸というか、指針のようなものが
ベースとしてあれば、すべての決断は、
もうちょっと変わってくるのでは、と最近、思うのです。

たくさんの小さな決断が、
自分の目指す方向に向かうのではないかな、と。
それが自分のコンセプトになるのかも、と。

夜中、ねちねちと企画書をつくりながら、
考えた次第であります。

記憶の責任。

広告制作のことを、
クリエイティブというけれど、
まったく今までにないものは、
そう簡単には作れません。

必ずどこかで、
過去に誰かがやった仕事から
アイデアをもらっていたり、
インスパイアされているはずです。

ただ、アレンジが
悪いというわけではありません。
だって、世の中のすべてのものは、
進化していくものであって、
広告制作も例外ではないはずですから。

でも、広告を作っている人間として、
心得ているべきことがあると、最近強く感じます。
それは、過去の広告を覚えていること。

広告が、あくまで商品や企業の
独自化の手段である限り、
当然、競合他者の発信している内容と
イメージが似通っていてはいけない。

また、「どこかで見たことがある」感じを
与えることで、企業のサービスや商品の
新鮮さを失わせてはいけない。

そのためには、
今、世の中に出ているものや
過去に発信された広告は
可能な限り、知っておく必要があります。

知ってさえいれば、
視点をずらしたりすることで、
回避は可能なはずですから。

過去の仕事の記憶は、
作り手の責任だと思うのです。

いいものが生まれる時間帯へ。

真空ラボは、
一応、営業時間は朝9:30です。
でも、たいがい8時くらいには、もう誰かがいます。

空気の澄んだ朝は、
気分が良いし、
集中できるから、仕事もはかどる。

一日の段取りが立てやすいので、
余裕も持ちやすい。

とここまでの話を聞いていると、
朝型なのか、と思われるかもしれません。
真空ラボは、夜型でもあります。

クライアントと打合せしたプロジェクトを、
夕方から組み立てる。

外が暗くなって、落ち着ける時間帯に、
細やかなディテールを見つめ直していく。

つまり、各人が仕事をしやすい時間帯に
仕事をこなしているのが
真空ラボ風とでもいいましょうか。

いいものをつくるために、
まず、自分をいい気分に。
それも仕事の一環だと思います。

朝の肌寒さと夜長が心地よい秋は、
特に、そのルールを実践できている気がします。

しわ。

今年の初頭に立てた計画が、
どこまで進んでいるか、
気になることがあります。

ちゃんと進んでいることがあったり、
そうじゃないことがあったり。

一年は、今日の積み重ねに過ぎないので、
今日できなかったことは、
確実に明日にしわ寄せされます。

そんなことを言うと、
心に余裕が無いように聞こえますね。

でも、心に余裕が持てる人は、
たどり着きたいところへ、
余裕を持って進んでいる人だと思います。

一年が終わってみると、
余裕がある人ほど先に進んでいる事実。

しわだらけになる前に、
お手入れを。

関係を描く。

好きな人にどう思われたいか。

だいじな人には、
ウソはつきたくありません。
裏切りたくもありません。
偽りの自分を見せたくもありません。

できれば、
本当の自分を好きになってもらいたい。

自分をさらけ出してなお、
信じてくれる人に
ずっと応えていきたい。

だからこそ、がんばる。
だいじなひとに役に立ちたい。
だいじなひとに喜んでもらいたい。
だいじなひとに幸せになってもらいたい。

なのに、
企業と生活者の関係に置き換えた瞬間に、
あたりまえのように相手を裏切る人がいます。

「広告は別だから。」

そう、軽く言ってのける。
広告は生活者という意中の相手もしくは恋人に、
直接投げかけるかけがえないメッセージなのに。

いつだって基本は、ひとつだと思う。
好きな人にどう思われたいか。

秋の雨。

この数日間で、
一気に秋が深まった感がありますね。

この頃の雨は、
夏の雨とはちょっとちがって、
散っていく枝葉など、いろんな香りを
運んでくる気がします。

「それじゃ、また来年。」というような。

秋が寂しい気持ちにさせるのは、
そのせいもあるのかなと。

こういう気付きは、
その時は強く感じるのだけれど、
なぜか、すぐ消えてしまう。

どこかに書き留めておかないと、
まるで最初から何も感じていなかったように、
姿を消してしまいます。

そう考えると、
このブログはとても便利。
何気なく、感じたことをメモしておける。

子どもの頃、ブログはまだなかったから、
せめて日記でも書き留めておければよかった、と思います。

茫漠とした記憶も、
もう少し輪郭を帯びて、アイデアの種になってくれるだろうに。

本当の秋。

肌寒い朝。

秋分の日も過ぎて、
急に秋色づいてきた気がします。

そういえば、周囲の木々も、
少しずつ茶色く表情を
変えてきているような。

仕事にかまけていると、
ついつい、季節の移り変わりにも
鈍感になります。

仕事の中で、
季節感を表現をしているくせに、
実際の感覚としての季節が薄れていく。

いつのまにか、
「秋ってこんなんだったよな」と、
記憶の「経験の秋」だけで表現している。

実際は、
周期が早まっていたり、
気温が高くなっていたりするはずなのに。

求められている季節感が、
記憶の中にあるものかどうかはさておき、
忙しいからこそ、
季節をちゃんと感じなければ、と思います。

自分の企画書。

企画書を書くとき、
その企業なり商品なりの、
ポジションを書き出します。

ポジションとは、
言葉どおり、現在の場所のこと。

どんな環境に存在して、
どんな要素をもちあわせていて、
どんな強みをそなえていて・・・などなど。

だいじなのは、
どこへ向かうべきか。
いや、向かいたいか、ということ。目標ですね。

制限された時間内に、
目標へどうやってたどりつくか、
客観的に考える。

これって、実は、
自分の人生とかにも
あてはまるんですよね。

なかなか自分のこととなると
客観的には眺められないけれど、
ちょっと遠くから眺めてみると、
夢とかへのプロセスも、意外に単純だったりします。
もちろん恋愛もおなじ。

これまた広告とおなじく
いつも思惑通りにいくとは限りませんが
「なんとなく」よりは、必ず近道になります。

帰る場所。

先日、ある地元の後輩から、
「仕事、うまくいかないんすよ。やめようかな」
というようなことを言われて、ふと考えました。

今の若い人って、
「帰る場所」はあるのかな、と。

いや、自宅のことではなくて。

行き詰まったときや、
困ったとき、
悩んだときに、
立ち返る時間的な“地点”のことです。

僕ならば、
コピーライターになってまだ3年目ぐらいの頃。
名古屋のコピーライターの事務所で
働いていたときのこと。

がむしゃらにやってるわりには、
何をやってもうまくいかなかった頃。
でも、その時のことを思い出すと、
大抵のことは乗り越えられるような気がします。

自分の今を乗り越えられるのは、
自分しかいないわけで。

「ちょっと力を貸してくれよ」と、
自分の力を借りに行く過去があることは、
きっと大事なことなんだと思います。

あきらめる勇気。

「やればできる」という言葉。

最近は、これって、
ちょっと無責任なフレーズなんじゃないかと
思い始めています。

可能性は確かに
あるかもしれないけれど、
やって成功することを保証しているわけでは、
当然、ありません。

でも、子どもの頃は、
けっこう勇気をもらった気がします。

そして、たいていのことは、
言葉通り「できた」ような気も。

ただ、大人になるにつれて、
いくら「やればできる」と言われても、
なんでもかんでもできなくなってくる。

その理由は、できれば
自分に本当に必要なことだけに、
自分の時間は使いたいから。

いや、正しく言えば、
自分には向いていないことに
限られた時間を費やしたくないから。

なんて言うと、
好奇心がない、とか、
チャレンジ精神がない、とか言われそうだけれど。

他人の「やればできる」に惑わされることなく、
ただ一つの道を選ぶことは、
自分の中に勇気をつくることが
できるようになった証拠だと思うのです。

言いたくないけれど、
企業という「人間」も同じだと思う。

歌声。

夜、仕事をしていると、時々、
外から奇妙な歌声が聞こえます。

いや、もうお盆も過ぎましたから
怪談とかでは、ありません。

うちの会社は、
大通りではなく
いわゆる、裏道に面して建っているので、
気を抜いて、歌いながら帰る人が多いのです。

会社の帰り、学校の帰り、遊んだ帰り。

どこからの帰路かはよくわからないけれど、
とにかく、帰り道の歌が
開け放した窓から入り込んでくる。

どこかで聞いたことがあるのですが、
家への帰り道、というのは、
ほとんどの人が良い気分なのだとか。

他人の目をやたらと意識しすぎて、
ときどき息が詰まりそうになる昨今だけど。

誰かの「帰り道」になれる
広告会社でありたいと思う。

潜在アンテナ。

やりたいと思っていた
仕事が入ってきたり。

会ってみたいと願っていた人と
話す機会ができたり。

頭のどこかで思い続けていると
「ふと」かなうことってよくありますよね。

あれは、
表面的に自覚していなくても、
潜在意識の中で、
常にアンテナを張っていることで、
起きる結果と、聞きます。

つい先日も、
その現象がありました。

「こんな本があったらいいのにな」と、
思いながらも、表面的には忘れていた本と、
本屋で出会いました。

どこかで強く思っていれば、
勝手にサーチしてくれるこの機能、
誰にでも備わっている才能なのだと思うけれど。
あらためて、便利です。

クールな根性論。

今の時代、
根性論なんて、
もはや流行らないけれど。

熱さというのは、
大切だなと
最近よく思います。

人はいつも、何かしら、
熱くなれるモノを探していて、
共感する部分があれば、
いっしょに燃焼したいと
思っている気がするのです。

でも、こんな時代において、
「絵に描いた餅」を食べるために、
いっしょに燃焼する人はいない。

できれば、
裏付けのある物語の中で
いっしょに燃えたい。

だからきっと、
根性論がいらないわけではなく、
クールな根性論が
求められているじゃないかなと思う。

ややこしいけれど。

あたりまえのチカラ。


今朝、コンビニへ行った際のこと。
一人の少年が、
いったん駐車場に停めた自分の自転車を、
店の軒下あたりに移動させていた。

ピークの通勤時間はもう過ぎているけれど、
「もしクルマが来たら、邪魔になる」と考えたのだろう。

別にこれといって、
目新しいことではないのだけれど、
これって、想像力だなと思った。

想像力、というと、なぜか
特別な、社会を動かすチカラのような印象がある。

でも、決して、楽しい、すごい、面白いアイデアだけが、
想像力ではない。

想像力は、いつも生活の中で使われている。

「ぬれた傘をそのまま満員電車に持ち込んだら、
 中の人に迷惑がかかるだろうな。」

「ゴミを分別せずに捨てたら、
 ゴミ収集の人が困るだろうな。」

「早く帰らないと、
 親が心配するだろうな。」

どれもこれも想像力。

つまり、想像力とは、
誰かの視点に立って思いやるチカラなんだと思う。
「社会を動かす」という点では、
あたっているかもしれないけれど。

生き様。

「生き様」というと、言葉そのものから
「勢い」や「凄まじさ」みたいなものを感じてしまって、
ついつい本来の意味を見失いそうになります。

正しくは、「生き方を示した具体的な生活態度」。

なんで突然、この言葉の話をし出したかというと、
広告づくりって、まさに「生き様」の表現だと思ったから。

広告づくりが、共感。の獲得を目指す技術である限り、
自分自身が身をもって体験して、
感じたり思ったりしたことが、何よりの頼りになる。

どんなにちっぽけでも、
どんなに薄っぺらくても
自分の生きてきた量や距離がいちばんの武器になる。

そう考えると、
自分の生き様をしっかり確認して生きることは
とっても大事なことだとわかります。

ちっぽけな生き様に存在する思いや気持ちは、
ちっぽけな生き様(と思っている)の人にしか伝えられないのですから。

大事なのは、
自分を思うこと。
自分を考えること。

濃い時間だからこそ。

今年も、お盆がすぎて、
きっと気付くと秋なんでしょうね。

濃い時間は過ぎるのが早い、
とはよく言いますが、
本当にそうなのか。
濃いと思っているだけなんじゃないかと、
ちょっと自問自答してしまいます。

過ぎゆく時間が早いからこそ、
その内容を気にしたい。

一ヶ月の間に何をしたのか。
一週間の間に何をしたのか。
一日の間に何をしたのか。

仕事に追われるのでなく、
仕事を追う立場でいるために。

忙しいときほど、
自分自身をしっかり見つめなければ
いけないのだと思う今日この頃です。

平凡な、異常気象。

暑い日が続いています。

「僕にとっては
 もう夏は終わったような感じなのに、
 こんなにまだ暑い。」
と、ある人に言ったところ、

「僕にとっては、
 今は単なる異常気象だよ。
 だって夏らしいことしていないもの。」
と切り返されました。

なるほど。
その人にとっては、
夏とは勝手にやってきて
勝手に通り過ぎるものではないらしい。

自分から迎えに行って、
その季節にしかない特別な体験をすること。

僕の身近で最も、
夏の格好をしている彼なのに、
すでにタンクトップの彼なのに、
きっともうすぐ上半身裸で仕事をする彼なのに。

でも、
「迎えに行かないと何の季節かもわからない
 異常気象の毎日」って、案外、
現実に訪れそうな気がしてちょっと怖いです。

安らぎの浸透圧。

このあいだ、実家に帰ったら、
母のC型肝炎が
完治したことを聞かされた。

そういえば、最近、
元気になったような気がしてたもんなぁと、
ふとふりかえると、足下にじゃれつく犬が。

数年前に飼い始めたマルチーズ。
母の気持ちが少しでも安らげばと思って
父がペットショップで買ってきたのですが、
「アニマルセラピー」って本当にあるのだと思いました。

ペットの犬や猫といっしょにいると、
なんとなく癒されて穏やかな気持ちになります。
現在では医療技術の一つとして、
取り入れている医療機関も多いとのこと。

でも、よく考えてみれば、
他の生き物にふれあって、
エネルギーをもらうのは、ペットに限らないのかもしれません。

憂鬱な朝、植物に水やりをすることで、
少し晴れやかな気分になったり。

立ち寄ったコンビニで、店員さんに何気なく挨拶されて、
どことなく快活になったり。

クルマの中で好きな音楽を聴いて、
いつの間にか楽しいリズム感の中にいたり。

知らず知らずのうちに、安らぎは、
ストレスの濃い場所へ流れているように感じます。

自分たちの仕事は、商業ベースだから、
決して、ペットや植物がもっているような効果が目的ではないけれど、
時に、近づくことができればと思います。

(とら)

大変だけど、幸せな日々。

先日、ある仕事の関係で、
地元ローカル線の本社へ足を運びました。

地図の示す住所に到着すると、
そこにあったのは、本社というにはやや控えめな建物。
若干とまどいながらも、社屋の中へ。

担当の女性が出てきて、
会議室らしき部屋へ案内してくれました。
その女性が上司を呼びにいっている間、会議室を見渡すと、
目に付いたのは、部屋の端にあった本棚。

ずらりと並ぶビジネス書を手に取ると、
そこには、何度も読み返されたような跡。
勉強してる人がいるんだなぁと思っていると、外から、コツコツという足音。

ドアが開くのに合わせて、入り口のほうへ振り返ると、
担当の女性と、その上司らしき男性が立っていました。
さっそくご挨拶を。と近寄り、
いつものように名刺を出す僕。同じように名刺を差し出す彼。

でも、その先が「いつもの」ではありませんでした。
「はじめまして」という僕に対し、彼から返されたのは
「久しぶり」。

見上げた視線の先にいたのは、高校の同級生でした。
「びっくりしただろ」と言わんばかりの笑み。

スーツに身を包み、
世のおじさんと同じような体格をした彼。
でも、おぼろげながらに残る、高校生の時の面影。

それから仕事の話を少しして、一息付いたあと、
「大変そうだね」と言うと、
「大変だよ」と彼。

地元の期待を背負って、全国でも新しい取り組みを
次々と展開しているこのローカル線。
そこで一線をはっている社員の皆さんの頑張りは、
実際に話を聞かなくても、想像できているつもりでした。
が、やはり、実際はそれ以上のもの。
現在、たくさんのメディアに取り上げられている数々の実績は、
彼らの努力の上に生まれているんだと再認識しました。

でも、実は、なにより印象的だったのは、
そんな大変な毎日のことを話す彼が、
どこか幸せそうに見えたこと。

「きのうは、地域の公民館で、
 お祭りに駅舎を使ってもらうための打合せをしてきたよ。
 青年会のお祭りなのに、みんな70歳だよ」

「こんなに、自分たちの住んでいるところについて考えたことなかったよ」

そんな話を苦笑いしながらする彼。

たくさんのしがらみの中で、
プレッシャーとも言える地元の期待を背負って、
決して物質的に大きな見返りが
そこにあるわけでもないはずなのに。

少し擦り切れたスーツの袖をまくりながら、
目を細めて笑う彼が、
その時なんだかとてもうらやましく感じたのを、
今でもよく覚えています。

(とら)
久しぶりに書いたら、
長くなってしまいました・・・反省。


卒業。

やっとほんの少しだけ、
聞こえてきましたでしょうか。
春の足音。

春と言えば、入学・卒業。

この、入学と卒業、
「どちらが好き?」と尋ねられたら、
皆さんはどちらを指すでしょうか。

僕は、卒業。
「切なさがいいんですよね。なんだか甘酸っぱくて…」
と言いたいところですけど、
それだけでもなくて。

どちらかというと、
「入学」より「卒業」に
期待感を強く感じるんです。

何かを始めてしまうと、
過程も、ゴールも、
見えてきてしまいます。

でも、何かを終える時は、
やがて訪れるものが
まだおぼろげなせいもあって、
ワクワクする。

この得体も知れない「ワクワク」が、
たまらないです。

さて、
まだ見ぬ新しい春の足音。
いろんな新しい仕事の足音にも聞こえます。


久しぶりのエントリー。
谷口嬢ファンのみなさま、失礼しました。
(とら)

小さくてほっとする生き物。

つらい時や、
泣きたいことがあった時。

大きな青空を見ると
それまで抱えていたことが
小さく感じられて、
楽になることがあります。

これって、
「この青空に比べたら、
 なんて自分の悩みはちっぽけなんだろう」
って思うってことですよね。

いつも、
成長しなきゃとか、
大きくならなきゃとか、
思っているくせに、
自分が小さいことを知って安心する。

そんな僕らは、
やっぱり変な生き物だと思います。

さ、今日も青空。
がんばらないと。

雪かき。

僕の実家がある坂井町は、
雪が降ると、一面真っ白です。

家の前の道も。
田んぼも。
学校のグラウンドも。
公民館の駐車場も。

いろんなものが、
一緒くたにされてしまいます。

隣の家との敷地境もなくなります。

だからかどうかはわかりませんが、
雪かきは、隣近所みんなでいっしょに、
していた記憶があります。

誰も何も言っていないのに
誰にも迷惑にならない雪置き場所が自然に決まり、
お互いがお互いの庭や駐車場も雪かきする。

雪が積もって道が見えなくなるのは嫌ですが、
雪が積もって人の境目が少しなくなるのは、
ちょっと、いいかもしれません。

もちろん、小さい頃は、
そんなことまったく思いませんでしたが。

印象。

「うちの広告のイメージを変えたいんだけど」。

そう言われた際に、
あなたはどうするでしょうか。
全改訂して一変させますか?

それも方法として確かにありますが、
手軽にサックリと一変させる方法も
あることを知りました。

それは、
従来もっていたイメージと相反するパーツを、
目玉として加えること。

うまくいけば、
「方向性変更」ではなく
「方向性充実」として機能するかもしれません。

はい。お察しの通りです。
弊社のサイトのinfoスペースを見て、
気づきました。

ここまでイメージが変わるとは・・・。

すれちがい。

広告とは、「すれちがい」を
「良い出会い」に変えることなんだと思います。

いきなり何を言い出すんだと
思うかもしれませんが、
事務所の窓から、車のすれ違う道路を
見下ろしていてふと考えました。

情報に触れる機会が溢れ、
能動的に出会いを求めれば、
かなり高い確率で結ばれることのできる現代。

人や企業は常に「すれちがい」をしていると考えます。

街の中で、建物の中で、ネットの中で。

見えているのに、見えていない。
それが普通の状態です。
擦れるほど近くを通っているのに、通り過ぎる。

だからこそ、タイミングよく声をかけることができれば、
すぐに知り合うことができると思うのです。

問題は、声のかけ方。

第一印象はなかなか消えません。
悪い出会いをしてしまうと、ずっと後を引く。
逆にいい出会い方ができれば、
ちゃんとそれなりの見方をしてもらえる。

だから、
ただ、声をかけるだけではいけない。
悪い出会いをするくらいなら、
すれちがっているままの方が良いかもしれません。

皆様、ぜひ良い出会いを。

リズム。

誰にでも、自分の生活をつくっている
リズムの軸というのがあると思います。

いちばんわかりやすいのが食事。
コーヒーtimeとか、犬の散歩とか、
ジョギングとか、音楽を聴くとか。
きっと人それぞれあるはず。

最近の僕は、
このブログがそんな存在に
なってきています。(やっと)

一日の終盤にブログを書くことで、
次の日のリズムにつながる。

今日もしくは今日以前に気づいたことを
文章化することで、
明日とるべき行動のために
リズムを合わせているような。
そんな感じでしょうか。

でも、今後はこの軸を
もうひとつ増やしてみようかと。

まだ秘密です。

不安は安心をつくる。

とあるラーメン屋で、
餃子をほおばっていたお昼のこと。
隣のテーブルから、
とても興味深い会話が聞こえました。

カップルらしい男女。
餃子を注文しようとする女性に、
男性が言います。
「え、餃子頼むの?こんな時に」
すると女性はひとこと。
「こんな時ほど、安心な時はないでしょ」

確かに。
今ほど、餃子の材料に
気を使う時はないと思います。

不安は安心をつくる。

と考えると、
こりゃ餃子の話だけに納まらないなと
思えてきました。

昨年から続く、いろんな不安は、
ひょっとしたら、
本物の安心が生まれる前触れなのかも、と。

これから、
本当に安心で安全なものを一生懸命つくる企業が、
ちゃんと評価される時代がやってくるんだ、と。
ポジティブ過ぎるかもしれませんが。

「で」。

最近、「で」を入れようキャンペーンを
ひとりで実施中です。

「そうすか」
「まじすよ」
「ほんとすね」
「くさいんすよ」

「そうですか」
「まじですよ」
「ほんとですね」
「くさいんですよ」

にする活動です。

僕を含め、多くのおじさんが
「で」抜きコミュニケーションを
行っている気がします。

勢いに溢れた体育会系の若者の皆さんが、
よく、「〜ッスよ」と言いますが、
恐らく、これと同様ではないでしょう。

逆に、なるべく体力を使わないように、
「で」を抜いているのではないかと思われます。

おなかにチカラを入れて、
「で!」と言う。
これ、メタボ対策にもいいんじゃないかと、
密かに思ってます。

広告だからね。

週末、家族とテレビを見ていると、
ドラマの途中にTVCMが流れました。

化粧品か何かのCMだったと思うのですが、
それを見た母が過剰に反応。

でも、すぐに父が「広告だからね。」と、ひと言。
「そうね」と返す母。

よくあるシーン、よくある会話ですが、
広告制作者にとってこれは、
真摯に受け止めねばならないメッセージです。

父が言った「広告だぞ。」には、
「広告だから本当のことじゃないんだぞ」」と
いう意味が含まれています。

いわゆる消費者の広告フィルター。

これを通り抜けない限り、
僕らの仕事は達成されません。

よく「広告は見られない」というけれど、
「広告は、信じられていない」とも言える。

信じてもらうために、何ができるか。
表現を開発する前に考えなければいけないことが、
たくさんある、ということ。

貪欲。

貪欲であることは、
広告制作ににとって、
何より大切。
最近、つくづく思い知らされます。

下の写真は、
今、展開されているある広告の撮影風景。

道路上にいるのはモデル。
一面の雪に染まった畑の中に見える
小さな石のような黒い塊が、
弊社のハセガワと竹澤です。

R0010055.JPG

追われるより、追いかけたい。

もちろん恋愛の話ではなく、
仕事の話です。

追われるだけの仕事はツラいけれど、
追いかける仕事は楽しいです。

かといって、
いくつかの仕事を同時に進行させていく限り、
すべての仕事を(時間的に)、
追いかけている状態にするのはムズカシイ。

でもですね。
追われる中でも追いかけることができるのが、
恋愛にはない、
仕事の良いところだと思うのです。

時間的には追われていても、
仕事は、その中で
自分のゴールを追い求めることができる。
いわゆる「追求」ですね。

時間的に
どんなに追い込まれていても
追求している限り、楽しい。

そんなことをブログに書き込みつつ、
今日も追い込まれながら追求しています。

軸。

時代の流れとともに、
いろんなトレンドが出現します。

広告についても同様です。

企業ブランドのつくり方について
時代に適した
いろんな戦略や戦術が生まれます。

もちろんそれは、
今現在で有用なものであり、
活用するべきだと思います。

でも、
忘れてはいけないのが
「軸」を持つことだと思うのです。

広告会社としての、軸。

変化するものを見極める、
不変の考え方。

流れるものを活用するからこそ、
自らは流されてはいけない。
そう自戒する今日この頃です。

本質。

頭の良い人。

という定義は幾多ありますが、
僕が思う定義は、
「本質」を見抜くスピードの速さ。

「それって、こういうことでしょ」が、
すぐ出てくる人です。

本質がスルッと
素早く出てくる人には無駄が少ない。

だから、
広告制作であれば
表現に時間がかけられます。

つまり、
細部に、ディテールに、
エネルギーを注ぐことができます。

磨かれた細部は、
本質を語るメッセージをより強くする。

本質を導き出す力こそ、
広告を強くする力でもあります。

本質力、とでも言いましょうか。

コピーを、ふつうの生活に。

生活をわかりやすくする言葉って、
あります。

最近、そんな言葉に出会ったのは、
お仏壇の前でした。

小さい頃、
よく意味もわからず
お祈りしていたお仏壇。
(わが家は浄土真宗)

昔から、不思議に思っていて、
なんでお祈りするの?とよく親に尋ねました。

でも、
誰もはっきりは答えてくれませんでした。

でも、あるお坊さんの言葉が、
スカッとさせてくれました。
本当に最近のこと。

「お仏壇は端末なんですよ。
 ここから、あの世にアクセスするんですよ。
 元気かい?って」

いろんな疑問がスッと解けた瞬間でした。

お仏壇やお祈りの意味だけじゃなくて、
なんだか家族のつながりの
ありがたみまでわかった気がしました。

ちがう世界で生きる言葉をドッキングさせたりして、
より強い言葉をつくることは、
広告コピーとしては常套手段。

だけど、そういう言葉こそ、
普通の毎日の生活で登場することで
普通の毎日の生活を豊かにできるのかも。
と思ってしまいました。

鉄棒の原理。

といっても、
「こての原理」のように、
ラクして何かができるという話では
ありません。

どちらかというと、
苦労して何かができるようになる
という話です。

昔、鉄棒で逆上がりをした時のことを
ちょっと思い出してみてください。

最初はできなかったけれど、
何度か挑戦してできるようになった自分。
苦労して苦労して1回、成功を得ると、
なぜかそこからは、何回でもできるようになる。

それまで全然できなかったのに、
カンタンにできるようになっている。

当たり前のようだけれど、
これって結構フシギ。

1回できるようになれば、
何度でもできる。

自分にとってレベルの高い課題を
こなせるようになる秘訣は、
無理してでもこなすことにあるのだと思います。

さて、今晩も、
鉄棒の原理で、困難な課題に
取り組むとしますか・・・。

スピードの出ている時こそ、遠くを。

年明けから忙しくさせてもらって
本当にありがたい限りです。

忙しい時は、誰しも、
目先のことに
とらわれがちになります。

しかし、実際、
そんな時こそ、
視点を15度上げて、
遠くを見たいものです。

遠くを正しく見れれば、
目的地に達するための
今の走行方法が
まちがってないか確認できます。
そして、足りない燃料を補充できます。

ドラッカーは、
「2年半先を予測することができる」
と言ったけれど、
凡人の僕たちは、
常に1年先を見つめて走りたい。

ある意味、
広告づくりは、
予言の連続でもありますから。

人間関係は、生き方。

ひとりの人について知る時、
ときに、本人を見るより、
人間関係を見たほうが、
その人についてよくわかることがあります。

類は友を呼ぶとは
よく言ったもので、
同じ波長を持つ者同士というのは、
たぶん、ひかれあう。

だから、
人間関係を眺めると、
その人の人柄や、
考え方などが、見えてきます。

フラットな人には、
幅広い人間関係が生まれる。

国際的な人には、
国境を越えた人間関係が生まれる。

でも、考え方が変われば、
人とのつき合い方も変化し、
人間関係も変わっていきます。

つまり、相関図は、
人の生き方そのものなんだと思います。

身近な人々を大事にした祖父が、
葬儀の時、
身近な人々に大事に見守られながら
他界していったのを思い出します。

年末年始。

なんだかんだと言っている間に、
2007年も終わりを迎えます。

真空ラボとしては、
最終日まで、
プレゼンなどでばたばたとしており、
とても年末らしい年末ではありませんでしたが、
そんな中で年を越せることが
ある意味、ありがたくもあります。

2008年も、
どんどん自分たちの加速度を上げて
皆様にとっての強力な協力となるために
尽力してまいります。

どうぞ宜しくお願いいたします。


〈営業案内〉
お休み12/29〜1/6まで

抱負。

今日、ある人に
来年の抱負は?
と聞かれて、
すぐに答えられませんでした。

いつも思うのですが、
これを尋ねられて、
すぐ答えられる人は、すごい。

常に、自分の目標を確認していると
いうことですから。

ところで、
この「抱負」という字。

なんで「抱える」に「負ける」なんだ?と
ずっと思っていました。

どうやら「希望を抱きかかえる」と
いう意味があるようですね。

「目標」と言ってしまえば、
単なる道しるべ。
目指す場所。

そこを、
「抱きかかえる希望」=「抱負」と
するところがなんとも素敵。

一年の最初に願う
夢や希望は、
ただ目指すのではなく、
抱きかかえて大切に育てたいものです。

一年に一度の、お願い。

いま、とある神社の
仕事をしているのですが、
鳥居を見ていて
ふと思ったことがあります。

神社と言えば、
正月にたくさんの初詣客が
訪れる場所。

何台もクルマが連なり、
行列をつくって、
みなさん参拝にやってくる。

押し合いへし合い、
団子状態でも、
やってくる。

そんな人たちは、
何をしにくるかというと、
みんな、何かしら願い事を
しにくるわけです。
「今年いちねんは・・・」
みたいに。

つまり言ってみれば、
あの人数分だけの
「願い事」が神社に
押し寄せてきているということ。

それって、すごいことだと思うのです。
願い事は、前向きだから
持っているもの。

あらゆる人を
一年に一度、
人を前向きにさせてくれる神社。

もちろん、ありがたいご利益は
いろいろあるんだろうけれど、
もう、それだけで、
十分、価値があるんじゃないかと
思ってしまいます。

営業案内。

12月20日。
本当に日時の流れるのは早くて、
今年も残すところあと10日です。

一応、弊社としては、
原則的に、28日までの営業と
させて頂く予定です。
仕事初めは、1月7日です。

正月ぐらいはゆっくりと
睡眠もとって、
家族と過ごし、
来年への英気をやし…、

と思っていたら、
そうゆっくりもしていられない予感。

でも、
求められるのは、
あるがたいこと。

ココロの、
アクセルを緩めること無く、
年末年始をかけぬけたいと思います。

気持ちの部分も含めた、
真空ラボの営業案内です。

誰かのためになら、頑張れる、生き物。

「帰り道にふと思った。
 この暗い夜道を
 妻や子も歩いているのかなぁ・・・・・。」

住宅情報ナビのコピーです。

このキャッチコピーのあとに、
「駅前でセキュリティ充実のマンションあります。」と
つづきます。

妻子ある男性に、
直接、訴えかけるのではなく、
奥さんや子供のことを言うことで、
男性に住まいについて考える機会を
与えています。

いわゆる、
ちょっとした間接話法。

このコピーの巧みさはさておき、
これを見て思ったのは、
人って、本当に贅沢な生き物だということ。

多くの人は、
自分のために出せるエネルギーは、
たかが知れてる。

自分以外の誰か大事な人のためじゃないと、
それ以上のエネルギーを出せない。

親にとっての子供。
夫にとっての妻。
彼氏にとっての彼女。
飼い主にとってのペット。

まあ、逆に言えば
自分以外の誰かのためには、
いつも以上にエネルギーを出せる、
素敵な生き物なのですが。

広く浅くの前に、ひとつを深く。


ひとつのことは、
ひとつで終わらない。

いろんな仕事をしていると、
ひとつの仕事で得た知識が
他の仕事でも
生かせることがよくあります。

福井のこと、
産業のこと、
技術のこと。
そのほかあれこれ。

同じ時代に、
同じ人間相手の
仕事をしているのですから、
つながってくるのも当然ですが。

これは、仕事だけでなく、
知識を得ること全般に
言えることだと思います。

ひとつのことを深く知ると、
ほかのことも、見えてくる。

ちなみに僕にとっての
知識の入り口は、
恥ずかしながら
プロレスでした。

レスラーのことを知ったら、
団体のことが見えてきて、
団体について知ったら、
興行のことが少し見えてきて
興行のことを少し知ったら、
経済のことがちょっぴり見えてきて。

もちろん、
関連性の広がりは
一方向ではないので、
いろんなものにつながっていきます。

「広告マンは広く浅く、
いろんなことを知るのが大事」
というようなコトバをよく聞きますが、
僕は、まず、何かひとつを深く知ることが
大事だと思ってます。

たとえ、それが、
どんな分野でどんな業界のものだったとしても。

1日、27時間。

今年もあと半月。

「いつまで営業ですか」
みたいな会話が
ちらほらと聞こえるように
なってきました。

そうなってくると、
あのシーズン到来です。
そう、忘年会。

今日、とある会社の忘年会に
参加してきたのですが、
その会社の社長が、
とても印象的なコトバをくれました。

「仕事してると、24時間なんて、あっというまです」
という僕のコトバへの返答。

「1日を24時間以上にできるかどうかは、
 その人次第。」

24時間以上?

その社長が言いたかったのは、
自分次第で、
いつもの24時間のあいだにできることは、
もっと増やすことができる。
ということだったんだと思います。

日常でよく使う
「時間をつくる」というコトバは、
ひょっとしたら
ここからきているのかもしれません。

24時間が24時間以上にできるということは、
365日は365日以上にできるということ。

400日ぐらいの1年にすることを目指して、
来年はがんばりたいなと、
来年へ向けての豊富です。

ブログを書く理由。

唐突ですが、
ブログを書いている皆さんは、
どんな理由で書いているのでしょうか。

個人であれば、
日記のつもりで、とか、
アイデアを記しておくため、とか。

企業であれば、
PRのため、とか、
戦略のひとつとして、
とかになるのでしょうか。

ちなみに僕は、
「日常の中にある発見」
のようなことを綴っていけたらと思い、
(ほぼ)毎日、掲載しています。

新しい視点っていうと、
ビジネスのツールとしてばかり
考えてしまいがちですが、
普通に毎日を生活するためにこそ、
生かせるのが一番いいと僕は思っています。

今日見つけた新しい視点のおかげで、
明日の一日が気分よくすごせたら、
いいですよね。

誰かにとっての
そんな役割を、
このブログが少しでも
担えたらうれしいです。

そんな存在になれる日を目指して、
頑張ります。

山は続くと平地になる。

仕事がピークのときに、
「今が山だから」みたいなことを
言いますよね。

では、もし、
この「山」ばかりが続いたら
どうなるのか。

「山」とは
「谷」があるからこそ
成り立ちます。

「山」だけでも、
「谷」だけでも、
そればかり続いていては、
成立しない。

そう考えると、
ずーっと「山」なら
それは「平地」なんじゃないかと、
思ったわけです。

いくら高地でも、
そこが平坦なら、
歩くのはつらくない。

仕事に例えれば、
そうやってできた「平地」に、
さらに「山」をつくっていく作業が、
きっと、レベルアップすると
いうことなんだと思います。

「山」で埋め尽くしては、
平坦にし、
また「山」をつくり始める。

ピークで埋め尽くしては、
それが当たり前にし、
またピークをつくり始める。

まぁ
高いところにある平地は、
空気は薄そうですが。

あなたは、途中にいます。

企画の方向性を探る際に、
よく使われるコトバ「切り口」。

「切り口はいいんだけどねぇ〜」
みたいな感じで話してるのを
聞いたことがあると思います。

最近思うのは、
この「切り口」って
「途中」だということ。

この世に生きている人は、
常に人生の途中にいます。
さらに細かく言えば、
何かをしている途中にいます。

「今晩のおかずを何にしようか迷っている途中」

「彼氏と別れて、恋って何だろうって思っている途中」

「犬を飼っていたんだけど、逃げちゃって探してる途中」

「この仕事はじめて、8年か。
 いまだに自分に向いてるかどうかわからないって悩んでる途中」

「結婚してから、子供ができて、
 いつの間にか夫とは空気みたいな関係になっちゃって、
 なんだか寂しいような、これでもいいような不思議な気持ちを
 抱いてしまってからすでに7年たっているけど
 普通に暮らしている途中」

ピンポイントだったり、広幅だったり、
例を挙げ出したらそれこそ星の数ほどある途中で、
私たちは暮らしてます。

でも、広告の企画などで表れる「切り口」は、
なぜか同じような「切り口」ばかり。
(自戒の意も込めて)

実はこんなに切り口は、あるんですよね。
しかも時代が移ろう度に、どんどん変化していく。

そんなふうに思うと、
いまだ見つけられていない、新しい切り口は、
無限にあるんだって思えます。

というわけで、
ときどき現れる、
「もー何も思いつかないよー」っていう自分に、
さよならしている途中です。今。

自文化。

文化とは、
一般的には確立された
生活様式のことをいうらしい。

でも、ここまで
生活が多様化してくると、
文化もひとくくりには
できないのではないかと
思ってしまう今日この頃なのです。

たとえば、
「僕は、お風呂は朝派さ」とか
「私は、鼻をかんだ後ティッシュの中を見ないわ」
という人がいたとすると、
それも文化ではないかと。

ただ、
あまりにも私的すぎて、
サブカルチャーでもないし、
大衆文化でもない。

ということで、
そういう自分の中にある
生活様式、いわゆるライフスタイルを、
「自文化」と名付けてみました。

もし万が一、
自分一人だけがやっていたことであっても、
文化の一つであるならば、
胸をはって続けられる気が、
少しだけします。

社会人。

最近、とある仕事で、
いろんな人に、
「あなたの思う社会人は?」と
聞いてまわっています。

社会人って何ですか?
と聞かれて、
サッと答えられる人は少ないです。

それはきっと、
ほとんどの人が、
自分が社会人だと意識して
過ごしてきていないから。

「お前もう社会人なんだからさ!」
みたいなフレーズはよく聞くけれど、
言っている本人は、意味が分かって
いっているのかというと、疑問です。

辞書で引くと、
「実社会で働き、活動している人」
と書いてありました。

じゃあ、フリーターも?
派遣社員も?

どうやら、
年齢でもない。
職業でもない。

もちろん、定義としては
決まったものがあるんだろうけれど、
認識として定まっていない。

でも、面白いのは、
質問をされた人が、
しだいに必ず同じ方向に向いていくこと。

最初は
「自立した人」「仕事に誇りを持つ人」
などというふうに、
「社会での在り方」を答える。

でも、深く話しているうちに、
「家族を大事にできる人」
「働いて、家族を守っている人」などと
答え始める。

社会という外向きの話が、
いつの間にか
家族という内向きの話に変わってる。

社会人として何ができるかが、
家族のために何ができるか。
になってる。

何気なく使っている言葉が、
こんなに奥の深い言葉だとは。
びっくりです。

微笑ましい。

先日、ホームセンターの店内を
物色しながら歩いていると、
小学校低学年ぐらいの少年が
こちらに向かって走ってきました。

手にはフライパン。
どうやらお店の商品。

少年は全速力で走ってきたかと思ったら、
目の前の角を「キッ!」と左折。
ん?と思い、曲がった行方をのぞくと、
弟らしき別の少年と、
いわゆるチャンバラをしていました。

弟らしき少年の武器は、
布団たたき棒。
もちろんこれもお店の商品。

大声をあげながら、
いわゆるチャンバラをする少年たち。
周囲の大人は、見てみぬふり。
なんとなく迷惑そうな顔。
(ま、僕も何もしなかったわけですが)

チャンバラしていた少年たちは、
戦場を変えるがごとく別のコーナーへ。

その時でした。
一人の大人が、
走る少年の腕をガッとつかみ、
頭をパコン!!
次の瞬間、もうひとりの頭もパコン!と。

なんと、
モンスターペアレンツ溢れる
こんな時代に、
他人の子供を叱れる大人がいるとは。
しかも、鉄拳制裁。

と思っていた矢先、
大人の口から出てきた言葉は、
「コラ、○○○!!、○○○!!
 どこでもいくなっていったろうが!
 それ、お店のやろ!返してこいま!」と。

親。

でも、叱らなきゃいけない時に、叱れる親。
「ごめんなさい」と素直に謝る子供。

親になったことはないので
よくわかりませんが、
親子の微笑ましい光景って、
「叱ったり叱られたり」にあるんじゃないかと思いました。

つくる人は、語る人。

いいものは、
なんとなくでは
生まれない。

そんなふうに思ったのは、
今日、いくつか行った取材の後。

いろんな取材をしていると、
いろんな人に会います。

すべての人が饒舌でないのは
当然なのだけれど。
何かを、何かのためにつくった人には、
何かしら想いがある。

だから、
自分がつくった作品や商品などについて聞かれれば、
話すのが上手だとか下手だとかは、二の次。
とりあえず、話そうとする。

作ったものに対しての溢れる想いを言葉にする。
自分が、作ったモノで
何を伝えたかったか、何を感じてほしかったかを話す。

語れる何かを持っているから。
語りたい何かを持っているから。

でも、たまに、
どんなにいろんな方向から質問しても、
「別に何も無い」という、
返事をする人がいます。

作ったものが、
作り手にとってすべてだけれど、
作る過程に、もし何も無いとすれば、
それは、何も作っていないことと
同じではないでしょうか。

言い過ぎかなぁ。

昔の手帳。

先日、資料をあさっていたら、
ひょっこり出てきた、昔の手帳。

この仕事をはじめて
3年目ぐらいに使っていたもの。

確か、あの頃、住んでいたのは名古屋。
福井から、修行のつもりで出て行って、
見ること聞くこと、
すべて新鮮な環境で働いていました。

中を開いてみると、
目に飛び込んできたのは、
赤字でぎっしり書かれたメモ。

先輩コピーライターからのアドバイス。
上司に教えてもらった仕事の進め方。
挨拶にはじまる、ビジネスマナーのこと。
その他、仕事をする中で感じたいろいろ。

当時は、与えられるすべての言葉が
それこそ格言のように聞こえて、
必死になってメモってました。

赤字の内容を、
今の自分がすべてこなせているかどうかは別として、
書いてあるのは、けっこう、
あたり前のことばかり。

ただ、この頃の特別な「必死さ」は、
もう、持ち合わせていないかもしれないな、と。

ちょっとだけ、大事なことを
思い出させてくれた、一冊の手帳。
いつでも取り出せる場所に、
仕舞い直しました。

久しぶりに会った人。

昔、一度だけ会ったことのある人に、
久しぶりに会いました。

その人は、当時も
すごい実績を持った人だったのだけれど、
あれからしばらく経って、
さらにすごい人になっていました。

そこで思うわけです。
「自分は、どうか」と。

立ち止まってはいないか。
成長を続けているか。
目指すべき状況に近づいているか。

自分だけの世界でモノを見ていると、
何より、自分を客観的に見れなくなります。

でも、ときどき、
懐かしい友人や知人に会うと、
今の自分の場所を、
じっと見つめ直すことができます。

頑張っている人には、
「やる気」がもらえます。

正しく言えば、
自分が「やる気」を出す
きっかけをもらえる。

もらうだけでなく、
自分も誰かにあげられるように、
頑張らなければ。

ちょっと姿勢を正した今日です。
ありがとう。

インパクト。

広告づくりを行っている人間なら、
必ず一度は、投げかけられたことがある課題。
「インパクト」。

「新商品なので、インパクトがあるやつを」
「回数が限られているので、インパクトを」
「インパクトのある広告で、名前を浸透させたい」
「枠が小さいので、インパクトが欲しい」
「競合がたくさんあるので、インパクトを」
・・・・・などなど。

ここでお気づきの方も、
いらっしゃるでしょう。
そう。
あらゆる場合において、
インパクトは前提です。

まず、目に留められなければ
意味がありません。
広告ですから。

でも、目に留められ方は、多種多様です。

大声でなければ届かない状況もあるし、
声を出さなくても届く状況もあります。

大事なのは、どんな環境で、誰に、何を、どう言うか。

決まり文句のように投げかけられる、
「インパクト」のない「インパクト」のせいで、
基本を忘れては、いけない。

自戒の意味も込めて。

イス。

イスはひとを変える、という。

僕は、イスによって
人が成長する過程は
ふたつあると思っています。

ひとつは、
誰かにイスを用意されて、
イスに合うように成長する。

そして、もうひとつは、
今のイスでは物足りなくて、
自ら新しいイスを求めて成長する。

受動的な成長か、
能動的な成長か、
とも言えます。

どちらにしても、
大切なのは、
今の座り心地を
大事にしすぎないこと。

今座っているイスから
離れない限り、
新しいイスには座れませんから。

※文章と写真は関係ありません。

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みんなの空間。

いつもなんだかんだと、
たくさんの人が集まるわが事務所。
今日はいつもに増して、
大勢の人が訪れました。

クライアントの皆様。
パートナーの方々。
同業の仲間たち。
その他諸々。

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わが事務所の目指す姿のひとつに、
「想いが行き交う空間」があります。

人が行き交うとともに、
たくさんの想いが行き交う空間。

多くの人が訪れ、
対話できる場所でこそ、
求めていた何かが出来上がるはずです。

今後とも、
みなさん気軽にご来社ください。

あ、人がたくさん来ても、
ちゃんともてなしを忘れなかった、
わが社のエリート営業マンのことを忘れてはいけません。

撮影にいらっしゃったタレントさんの
ブログにも登場。
あいかわらず、やる。

途中で止める。

仕事のスピードを上げるために、
近頃、行っていることのひとつに、
「途中でやめる」があります。

スピードを上げないといけないのに、
やめてどうする?
と、突っ込みを入れられそうですね。

でも、「途中でやめる」のです。

あくまで、
個人的に感じていることですが、
仕事のスピード感って、
クルマなどの乗り物のそれと
似ている気がします。

走り出してから
徐々に加速度が増してきて、
スピードが出るようになる。
そして、トップスピードに近づいていく。

次回、仕事を始めてから
このトップスピードに、
いきなり到達するために、
「途中でやめる」のです。

言い換えれば、
スピードに乗り始める直前まで、進めておく。

クルマとちがって便利なところは、
エンジンをかけっぱなしで、
翌日まで放っておけるところでしょうか。

授業。

仕事を教えてくれる人がいる。
仕事を教えてくれる人がいない。

就職して、どちらの環境に
身を置くことになるかは、
運だと思います。

ただし、
身をおいてからの道は、
自分次第です。

教えてくれる人がいないからといって、
何もできないまま過ごすか。
何かをできるようになるために、もがくか。

教えてくれる人がいたとしても、
自ら吸収する意欲がなければ、
教えてくれる人がいない環境にいるのと
変わりません。

大事なのは、
今、自分が成長するために
できることが何かを
考えることだと思います。

本当に必要だと思えば、
本や、ネットや、スクールなど、
「教えてくれる人」を
自らつくり出すこともできる。

今日、そんなことを考えながら眺めていたのは、
弊社で行われていたひとつの授業。
科目名は、「カメラ」。

なんとも、
うらやましい環境ですが、
果たして。


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「縁」より「出会い」。

「縁」という言葉は、
捉えようのない世界が、
あまりにも大きすぎて、
好んで使いません。

でも、「出会い」は好きです。
もちろん末尾に
「系」はいりませんよ。

「出会い」は
「縁」に比べて、
偶然のパーセンテージが
高いように感じるのです。

また、「縁」ほど、
未来が用意されていないように
思えるのです。

そこに深い意味はないかもしれない。
でも、「出会った」。

意味はこれからつくっていく。

どんな出会いも、
当人次第で、良くも悪くもなる。

「縁」は宿命、
「出会い」は運命。
そんなふうに
言い換えられるのかもしれません。

昨日、当社に、
ひとつの「出会い」が、
生まれました。

良い方向に導きたいものです。
(トップページの求人広告を、そろそろ消さないと)

もうすぐOPEN

社会でまっとうな
経営をしている限り、
どんな企業にも、
「使命」があると思います。

いわゆる、ミッション。

自分の会社は、お店は、
世の中に、
何をもたらすか。
何のためになるのか。

ミッションを
持っているかどうかは、
存在意義でもあると思います。

そして、指針となります。

自分たちは何をすべきなのか。
どんな立ち振る舞いをすべきなのか。

ミッションを持つ企業は、
自らが届けるサービスで、
顧客がどんなモノを得るのかを、
どんな想いを得るのかを、知っています。

だから、
現在、世間を取り巻く、
食をはじめとした商品への不安は、
そこには生まれません。

11月2日、鯖江市にオープンする
下のお店「Sloe berry」も、
そんな企業のひとつだと思います。

果物と野菜とスイーツの
味わいのベースにある、
お店のミッション。

ぜひ、美味しさとともに
多くのお客様に感じてもらいたいと思います。

「Sloe berry」のみなさん。
ブランドづくりに協力させていただき、
ありがとうございました。

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的禁止令。

僕的に。
キモチ的に。
ヨーロッパ的に。
おっさん的に。
Youtube的に。
真空ラボ的に。
・・・・・・。

「的」。

コトバのおしりに付けるだけで、
明言をさけて、
ぼかしながら言うことができるワード。

「わたしは!」とか、
ズバッと言えない状況では、
とても便利なコトバです。

よくわからない事実に、
一枚フィルターをかけて、
「そうなんじゃな〜い?」と
伝えてしまうことができる。

しかし、これを多用しすぎることは、
危険だと、近頃、思えてきたのです。

明言をさけるということは、
物事をあいまいなままにしておく
ということ。

つまり、いろんな事実から
逃げながら、
コトバを発していることに
なるのではないかと。

しっかり調べない。
ちゃんと考えない。

そんな状態を披露している
ことになるような気がするのです。

便利なコトバは、
危険です。気をつけなければ。
(あえて狙って使う場合をのぞいて)

モノも、思い出。

先日、引っ越しをしまして、
その際に不要となったインテリアを
リサイクルショップに
買い取ってもらいました。

取りにきてもらう前は、
「早く持っていってもらって、
 すっきりしたい」
と思っていました。

しかし、いざ、
運ばれ始めたのを眺めていたら、
これが、けっこう寂しい。

あああ。

あれ買うときにはすっごく迷ったなー。
とか、
カラー選びに苦労したんだよなー。
とか、
あのカウンターで仕事したりしたよなー。
とか、
いろんな記憶が蘇ってきました。

あんまり愛着持っていなかったようで、
いっしょに過ごした時間のぶんは、
ちゃんと思い出になっていました。

むかし、
「モノより思い出。」
というクルマのキャッチコピーがありましたが、
あらためて、モノも思い出だと、
感じちゃいました。

しかし、カウンター×2で4,000円・・・。
モノはよく考えて、
思い出にしなければいけませんね。

鉄の塊が入った重いカバン。

ブログを2日間も休んでしまいました。

東京出張とはいえ、
パソコンを持っていったので、
書ける環境にはあったはずなのに・・・。

福井に帰るまで、
電源を入れることも無し。

鉄の塊が入った重いカバン。
まるで、筋トレでもするために、
持っていったかのようです。

「足かせならぬ、腕かせだなこりゃ」と思いつつ、
周囲を見渡してみると、
東京には、パソコンの入ってそうなカバンを
持ち歩いてる人がけっこういました。

でも、みんな、スタスタと軽快に歩いてる。
どこに向かっているのかは知りませんが、
まちがいなく、そのスピードは
僕らの軽く1.5倍の速度はある。

東京人というと、
体力のあるイメージはないのですが、
実は彼らは、日々、長距離を歩き慣れているんです。

反して僕ら福井人は、
福井の大自然(言い過ぎか)の中で、
エネルギッシュに生きていると思いきや、
実は、どこに行くにもクルマ。
ほとんど歩かない生活。

交通機関がないことが、
体力を低下させているなんて、
ちょっと皮肉ですよね。

イベント

そんなことはさておき
D+の方々と企画した
ビッグサイトでのイベントはうまくいきました。
みなさま、お疲れ様でした〜。

死語以後。

言葉は、いったん流行ると、
その後は、急速に劣化し
死語になってしまうことが多いです。

最近、その経路をたどっている言葉として、
思い浮かぶのは、『こだわり』。

その意味を辞書で引くと
「わずかなことに心をとらわれ、進展できない」
と出てきます。

転じて一般的には、
「思い入れ」や「妥協しない」
というニュアンス。

一時期は、本当に、
あらゆるところで使われていました。

まるで、書いてあれば、それだけで、
追求して作ったモノやサービスに見えてしまう
魔法のコトバであるかのように。

でも、それっておかしい。

「思い入れ」や「妥協しない」
という意味で使用するならば、
それは自分を突き詰めることであり、
「個の追求」です。

あの人、あの会社にしか
できないモノでなければ、いけない。

しかし、『こだわり』は、
誰でも使える同じ言葉です。

本当の『こだわり』が世に伝えられていくのは、
便利な『こだわり』という言葉が死んだ、
これからなのだと思います。

「こういうことだな」。

この仕事をしていると、
どこか見切ったように感じる瞬間が
時々やってきます。

しかし、それは束の間。

気付くといつも
「こういうことだな」は、
目前から消え去っています。

そしてまた
しばらくすると、
ふたたび「こういうことだな」が
目の前にやってきます。

今度こそ、見切ったかも。
と思うのですが、
気付くとやっぱり、消え去っている。

毎月、毎週、毎日、
この繰り返しです。

おなじ「こういうことだな」に、
ふりまわせれているのか。
毎回ちがう「こういうことだな」を
追っかけているのか。

いずれにしても、
「こういうことだな」を
追いかける旅は、
これからもつづきそうです。

もちろん、
それを楽しんでいる自分もいるのですが。

張り紙

※写真と文章はあんまり関係ありません。

好きな仕事は、つくるもの。

今日の夕飯(というか夜食)は、
吉牛でした。

なんとか深夜0時までに入店でき、
豚丼ではなく、牛丼を注文。

あいかわらずうまい。
ほくほくの笑顔でがっついていたのですが、
今日は、味より店員のほうが印象的でした。

何が印象的だったかというと、
「ものすごく楽しそう」だったのです。

単純作業を、リズム良く、
本当に楽しそうにやっていました。

その店員を見ていて、
ふと思ったわけです。
「この人、楽しく仕事ができる人なんだなぁ」と。

世の中には、
どんな仕事でも楽しく
できてしまう人がいます。

いわゆる、
他の人にとって退屈で嫌な仕事でも、
「楽しい仕事」に変えてしまう人です。

そういう人にとっては、
あらゆる仕事が、
「好きな仕事」になり得る。

好きな仕事に就いている人は
素晴らしいけれど、
好きな仕事をつくれる人は、
もっと素晴らしい。

そう、僕は思います。

そんなことを考えていたら、
いつもは必ず食べるおしんこを
食べ忘れてしまいました・・・。
あああああ。

仮説ラボ。

広告制作の仕事をしていると、
どうしても、
完成品としての仕事が目に付きます。

でも、実は完成品の前段階で、
つくっているものがあるのです。

それが、「仮説」。

仮説とは、
「こうすれば、こうなる」という
予測の地図。

僕らは、広告をこしらえる時は
キャッチコピーから、
プロモーション企画全体の立案まで、
まず、必ず、この仮説を立てます。

自身の体験を含め、
可能な限りの裏付けをもとに描きます