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広告 アーカイブ

不況だから、ではなく。

「不況だと、
最初に波をかぶるのは
広告だもんね…。」

ある広告代理店の方が、
そんなことを言っていました。

広告の仕事の本質は、
企業の体質改善であると、
僕は考えます。

それは、
コンサルタントの仕事じゃないの?
という反論があるかもしれませんが、
一貫して企業のブランドを創り上げる過程において、
マーケティングとソリューションは、
一体であるべき。

世の中が不安定な時ほど、
弊社に依頼をしてきてくださる企業の方が多いのは、
その考え方のもとで業務を行っているからだと
自負しています。

「不況だから」ではなく、
不況という“流行病”におかされて、
どこがおかしくなっているのか?

まず、そこに気付くことが大切だと思います。
その瞬間、きっと、危機はチャンスへと姿を変えます。

お気に入りの広告。

最近、ちょっとお気に入りの広告があります。

若者の自殺抑制を目的に発信されている、
ACの「生きている証」というキャンペーン。

従来「弱すぎる」とか「もうちょっと、がんばれよ」とか
「昔のほうが辛かった」などは、
ワイドショーのコメントや、
著名人の書籍で、嫌ほどあった。

でも、ちゃんと若者の想いに向き合ったCMは、
僕が知る限りでは、これが初めてなんじゃないかと思う。

おそらく、子どもたちは、
つらいからじゃなくて、
つらい時間を越える価値が解らないから、
未来をあきらめる。

大人の勝手な推測ではなく、
本音を的確に拾い上げた良い広告ですよね。

親にも、
強く届いていることだと思う。

http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/04/index.html

広告会社の広告。

今週の日曜日、
真空ラボのひとつの試みとして、
広告会社による広告を出してみました。

いわゆる「お付き合い広告」は、
これまでに行ったことがあります。
でも、自ら、というのは初めて。

費用対効果については、
もちろん認識しているけれど
「経験」は「想像」に勝る。

勉強になったことが、
いろいろとありました。

「目的と解決」という
主旋律についてではありませんが、
広告主と受け手の気持ちのリンクが、
必ずあることに気付いたことは、ひとつの成果。

今後も、
今までやっていないことに
ビシバシ挑戦していきたいと思います。

ご期待を。

客観的にモノを見ること、をやめる。

広告づくりに携わっている多くの人が、
先輩から「客観的にモノを見なさい」と
言われたことがあるのではないでしょうか。

一般的にどう見られるか。
を大事にしなさい、と。

でも、がんばって
広告づくり人生を歩んでいくと、
気づくんですよね。

あれ?
客観性は、客観性のままでは
形にできない、と。

そう。
客観的な情報は、データとして収集した後、
自分の経験やアイデアをつかって料理しないと、
そのままでは、広告として発信しても
機能しません。

つまり大切なのは
客観を料理できる主観。

そんなことを考えていたら、
昔読んだ一冊の本を思い出しました。

広告のための特殊な言葉ではなく

「コピーを広告のための特殊な言葉のように捉えないこと。
その姿勢のみがコピーライターの未来を作ると思う。」

コピーライター養成講座50周年記念号、
「コピーライター、書く語りき。」で、
アートディレクター原研哉氏が語っていたフレーズです。

見たもの、感じたものを
誰かに的確以上のイメージとして伝えるために
自在に使える言葉を磨くことこそ大切と、氏は言います。

確かに、世の中の広告に関係ない人たちに語りかけるのに、
広告のための特殊な言葉は不要。

広告を、広告として受け取る術を
多くの人、いやすべての人が身につけている今だからこそ、
コピーライターは、自らの書く言葉について
あらためて考えなければいけないのかもしれません。

広告だからね。

週末、家族とテレビを見ていると、
ドラマの途中にTVCMが流れました。

化粧品か何かのCMだったと思うのですが、
それを見た母が過剰に反応。

でも、すぐに父が「広告だからね。」と、ひと言。
「そうね」と返す母。

よくあるシーン、よくある会話ですが、
広告制作者にとってこれは、
真摯に受け止めねばならないメッセージです。

父が言った「広告だぞ。」には、
「広告だから本当のことじゃないんだぞ」」と
いう意味が含まれています。

いわゆる消費者の広告フィルター。

これを通り抜けない限り、
僕らの仕事は達成されません。

よく「広告は見られない」というけれど、
「広告は、信じられていない」とも言える。

信じてもらうために、何ができるか。
表現を開発する前に考えなければいけないことが、
たくさんある、ということ。

貪欲。

貪欲であることは、
広告制作ににとって、
何より大切。
最近、つくづく思い知らされます。

下の写真は、
今、展開されているある広告の撮影風景。

道路上にいるのはモデル。
一面の雪に染まった畑の中に見える
小さな石のような黒い塊が、
弊社のハセガワと竹澤です。

R0010055.JPG

誰かのためになら、頑張れる、生き物。

「帰り道にふと思った。
 この暗い夜道を
 妻や子も歩いているのかなぁ・・・・・。」

住宅情報ナビのコピーです。

このキャッチコピーのあとに、
「駅前でセキュリティ充実のマンションあります。」と
つづきます。

妻子ある男性に、
直接、訴えかけるのではなく、
奥さんや子供のことを言うことで、
男性に住まいについて考える機会を
与えています。

いわゆる、
ちょっとした間接話法。

このコピーの巧みさはさておき、
これを見て思ったのは、
人って、本当に贅沢な生き物だということ。

多くの人は、
自分のために出せるエネルギーは、
たかが知れてる。

自分以外の誰か大事な人のためじゃないと、
それ以上のエネルギーを出せない。

親にとっての子供。
夫にとっての妻。
彼氏にとっての彼女。
飼い主にとってのペット。

まあ、逆に言えば
自分以外の誰かのためには、
いつも以上にエネルギーを出せる、
素敵な生き物なのですが。

あなたは、途中にいます。

企画の方向性を探る際に、
よく使われるコトバ「切り口」。

「切り口はいいんだけどねぇ〜」
みたいな感じで話してるのを
聞いたことがあると思います。

最近思うのは、
この「切り口」って
「途中」だということ。

この世に生きている人は、
常に人生の途中にいます。
さらに細かく言えば、
何かをしている途中にいます。

「今晩のおかずを何にしようか迷っている途中」

「彼氏と別れて、恋って何だろうって思っている途中」

「犬を飼っていたんだけど、逃げちゃって探してる途中」

「この仕事はじめて、8年か。
 いまだに自分に向いてるかどうかわからないって悩んでる途中」

「結婚してから、子供ができて、
 いつの間にか夫とは空気みたいな関係になっちゃって、
 なんだか寂しいような、これでもいいような不思議な気持ちを
 抱いてしまってからすでに7年たっているけど
 普通に暮らしている途中」

ピンポイントだったり、広幅だったり、
例を挙げ出したらそれこそ星の数ほどある途中で、
私たちは暮らしてます。

でも、広告の企画などで表れる「切り口」は、
なぜか同じような「切り口」ばかり。
(自戒の意も込めて)

実はこんなに切り口は、あるんですよね。
しかも時代が移ろう度に、どんどん変化していく。

そんなふうに思うと、
いまだ見つけられていない、新しい切り口は、
無限にあるんだって思えます。

というわけで、
ときどき現れる、
「もー何も思いつかないよー」っていう自分に、
さよならしている途中です。今。

インパクト。

広告づくりを行っている人間なら、
必ず一度は、投げかけられたことがある課題。
「インパクト」。

「新商品なので、インパクトがあるやつを」
「回数が限られているので、インパクトを」
「インパクトのある広告で、名前を浸透させたい」
「枠が小さいので、インパクトが欲しい」
「競合がたくさんあるので、インパクトを」
・・・・・などなど。

ここでお気づきの方も、
いらっしゃるでしょう。
そう。
あらゆる場合において、
インパクトは前提です。

まず、目に留められなければ
意味がありません。
広告ですから。

でも、目に留められ方は、多種多様です。

大声でなければ届かない状況もあるし、
声を出さなくても届く状況もあります。

大事なのは、どんな環境で、誰に、何を、どう言うか。

決まり文句のように投げかけられる、
「インパクト」のない「インパクト」のせいで、
基本を忘れては、いけない。

自戒の意味も込めて。

ブースは、小さな企業。

いくつかの企業が、
自らのテクノロジーなどを
披露する「○○○展」といった集合イベント。

単独で会場を借り切って、
思うがままに行う場合は
いかようにもできます。

しかし、
多数の企業が集まる場合、
そうはいきません。

自らのカラーを強く打ち出し、
メッセージを伝えないと、
多数のブースの個性に埋もれ、
出展している意味さえなくなります。

今回、
そんな、懸念を消し去ってくれるような
ブースデザインができあがりました。

企業の技術そのものが顔です。

写真は、貼付ける生地の一部。

スケジュールなどの問題で、
当日、会場で見れないのが、
残念でしょうがありません。

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もうすぐOPEN

社会でまっとうな
経営をしている限り、
どんな企業にも、
「使命」があると思います。

いわゆる、ミッション。

自分の会社は、お店は、
世の中に、
何をもたらすか。
何のためになるのか。

ミッションを
持っているかどうかは、
存在意義でもあると思います。

そして、指針となります。

自分たちは何をすべきなのか。
どんな立ち振る舞いをすべきなのか。

ミッションを持つ企業は、
自らが届けるサービスで、
顧客がどんなモノを得るのかを、
どんな想いを得るのかを、知っています。

だから、
現在、世間を取り巻く、
食をはじめとした商品への不安は、
そこには生まれません。

11月2日、鯖江市にオープンする
下のお店「Sloe berry」も、
そんな企業のひとつだと思います。

果物と野菜とスイーツの
味わいのベースにある、
お店のミッション。

ぜひ、美味しさとともに
多くのお客様に感じてもらいたいと思います。

「Sloe berry」のみなさん。
ブランドづくりに協力させていただき、
ありがとうございました。

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死語以後。

言葉は、いったん流行ると、
その後は、急速に劣化し
死語になってしまうことが多いです。

最近、その経路をたどっている言葉として、
思い浮かぶのは、『こだわり』。

その意味を辞書で引くと
「わずかなことに心をとらわれ、進展できない」
と出てきます。

転じて一般的には、
「思い入れ」や「妥協しない」
というニュアンス。

一時期は、本当に、
あらゆるところで使われていました。

まるで、書いてあれば、それだけで、
追求して作ったモノやサービスに見えてしまう
魔法のコトバであるかのように。

でも、それっておかしい。

「思い入れ」や「妥協しない」
という意味で使用するならば、
それは自分を突き詰めることであり、
「個の追求」です。

あの人、あの会社にしか
できないモノでなければ、いけない。

しかし、『こだわり』は、
誰でも使える同じ言葉です。

本当の『こだわり』が世に伝えられていくのは、
便利な『こだわり』という言葉が死んだ、
これからなのだと思います。

「こういうことだな」。

この仕事をしていると、
どこか見切ったように感じる瞬間が
時々やってきます。

しかし、それは束の間。

気付くといつも
「こういうことだな」は、
目前から消え去っています。

そしてまた
しばらくすると、
ふたたび「こういうことだな」が
目の前にやってきます。

今度こそ、見切ったかも。
と思うのですが、
気付くとやっぱり、消え去っている。

毎月、毎週、毎日、
この繰り返しです。

おなじ「こういうことだな」に、
ふりまわせれているのか。
毎回ちがう「こういうことだな」を
追っかけているのか。

いずれにしても、
「こういうことだな」を
追いかける旅は、
これからもつづきそうです。

もちろん、
それを楽しんでいる自分もいるのですが。

張り紙

※写真と文章はあんまり関係ありません。

仮説ラボ。

広告制作の仕事をしていると、
どうしても、
完成品としての仕事が目に付きます。

でも、実は完成品の前段階で、
つくっているものがあるのです。

それが、「仮説」。

仮説とは、
「こうすれば、こうなる」という
予測の地図。

僕らは、広告をこしらえる時は
キャッチコピーから、
プロモーション企画全体の立案まで、
まず、必ず、この仮説を立てます。

自身の体験を含め、
可能な限りの裏付けをもとに描きます。

ほとんどが頭の中での作業になるので、
形には残りませんが、
この作業こそが、
実はとっても大事だと思っています。

何枚もの「予測の地図」があって、
その先に、クリエイティブが生まれます。

だからある意味、真空ラボは、
「仮説ラボ」である。
といってもいいかもしれません。

聞き流せない媒体。

一週間に4本収録。
ラジオCM制作づくしだった今週。

いろいろと
新しく気付く部分もあって
楽しかったです。

ラジオCMは、
「音」だけの勝負。

絵や光景の想像を、
聞く人にゆだねる媒体です。

しかし、だからこそ
母親のキモチから、宇宙人の声まで、
なんでもつくることができます。

これって、実は小説と同じなんですよね。

小説は100%イメージの世界。
読む人によって、
いくらでも広がり、変化していく。

ビジュアルがないからこそ、
無限の可能性がある。

これに音や
ナレーターのトーンが付いてくるわけですから、
広がりの速度はグンと増します。

制約の中にありながら、
その範囲の中であれば、
限りない工夫ができる。

どうもテレビの補足のように
受け止められがちなラジオCMですが、
ポッドキャスティングなど
未知なる音の世界が広がる昨今。

実は、これから新しい媒体の世界を
広げてくれるきっかけとなるのは
ラジオCMなんじゃないかと、僕は思っています。

今の自分を忘れないこと。

ちょっと前にここで、
「広告づくりには、
 そのサービスや商品を実際に体験することが
 大きな意味を持つ」
と書いたことがあります。

どうしても体験できないことは、
取材をして疑似体験しなければいけない、
とも書きました。

でも、最近、ある本を読んで
別のことにも
気付かされたんです。

それは、
「自分の心はどんどん変わっていくから、
 その時の自分の気持ちを
 覚えておくべき」
ということ。

過去の自分については、
「体験したこと」だから大丈夫。
というわけではないんですよね。

たとえば、
社会にでていなかった
学生の頃の心情は、
今とはまったくちがう。

あの時代の自分の気持ちを、
今もなんとなくは覚えているけれど、
もちろん細かくは覚えていない。

疲れたサラリーマンが歩いてる姿に、何を感じたか。
塾へ急ぐ子どもたちに、何を思ったか。
デジタル化の進む日常に、何を考えたか。

何気なく過ごしていると、
昔の自分の繊細に揺れ動いた気持ちは、
いつのまにか消えてしまうんです。

未体験のことは、
体験することを心がけるとともに、
今の自分の気持ちも
忘れずにいなければ、と思っています。

屋根。

1階のスタジオをのぞいたら、
なんと屋根がありました。
銀鼠色の瓦がなんとも、素敵。
TVCMつくるために屋根つくっちゃうわが社も、
手前味噌ながら、素敵。

この屋根を舞台に、
どんな映像がつくれられたのかは、
実際の放映を見ての、お楽しみお楽しみ。
(放映されればの話ですが)

屋根

直感を、超えたい。

第一感。いわゆる「直感」。
広告制作の仕事をしていて、
新しい案件に出会った時、
まず、この直感の訪れることが多いです。

充分な情報収集ができていた場合に
生まれる直感は、自分で言うのもなんですが
まさに「ひらめき」に近くて、
スッと抜けた感じがします。

でも、たいがいは、そこから、
「まだ時間もあるし」と、
うんうん考えはじめるんです。

アレコレあれこれと、
新しい情報を追加して、
新しい答えを探していく。

けれども、なかなか、
最初に生まれ出た「直感」を、
超えることができないんです。

いくつもいくつもアイデアを
ひねり出すのだけれど、
「直感」を超える答えは、出てきません。
どれも、まちがってはいないのかもしれないけれど、
「直感」超えられない。

そんな時、思い出すのは、
「結局、最初に考えたアイデアに戻るんだよね」
というコトバ。

それがまちがっているとは思わないけれど、
ちょっぴり、どこか言い訳しているようにも聞こえます。

できれば、直感を超えたい。

そんなふうに思いながら、
二度目の「直感」、いわゆる「第二感」が生まれるのを、
手と頭を動かしながら、且つ冷や冷やしながら、待っているわけです。
(クライアントのみなさま、いつもギリギリまで待ってくれて感謝してます)

直し。

広告制作という、
いわゆる「代筆」の仕事をしていて、
避けて通れない作業が「直し」。
(ま、一回でOKということも稀にありますが。)

クライアントの思いに、
可能な限り沿うために、
クライアントと自分たちの意見を、
ひとつにする作業です。

昔、まだコピーの仕事を始めたばかりの頃、
正直言うと、
この「直し」がホント嫌でした。

考えて、考えて、
ベストだと思って出しているのに、
カンタンに「直せ」と言うな。みたいな感じで。

でも、カンタンに、
それをベストだと思っている僕のほうが、
どうかしていたことに、
いつの日か、気付きました。
浅はかですよね。

企業は、
安くはない広告費を払い、
明日へ勝負している。

その勝負の決断が、
カンタンにできるはずがない。

ということに気付いてから、
「直し」をとても前向きにとらえることが
できるようになりました。

直しは、
クライアントが与えてくれた
再チャレンジの機会であり、
もういちど一緒に考えたいという、
ラブコール。

そんなふうに、
いつも思って仕事をしています。

大変だけど。

広告の仕事に携わっている人は、
先輩や上司に、
こういうことを言われたことが
あるんじゃないでしょうか。

「もっと、遊びなさい。」

もちろん、
ただぼーっと遊ぶのではなくて。

「いろんなことを経験して、
 いろんなことを考えなさい。」

そんな意味が、
そこには込められていました。

今になって
こんな話題を持ち出しているのは、
最近、多少なりキャリアをつむほどに、
身にしみて、その重要さを実感させられるからです。

どこにでもあるような
コピーや企画はさておき、
本当にオリジナルなものは、
どんな本を読んでも、
どこを調べても出てこない。

これを解決するためにできることは、
恐らく、一つしかないんじゃないかと思うんです。

何を気取ってるんだと
言われるかもしれませんが、

「毎日を一生懸命過ごす」。

当たり前の日常の中でも、
いろんなことを、見て、聞いて、
感じて暮らす。

この仕事をしてる限り、
ずっとやっていかなくてはいけないことだし、
ずっとやっていけることなんだと思います。

そういえば、昔、
コピーライターの一倉宏さんが、
「大変だけど、幸福な仕事」という
キャッチコピーを書いていたのを思い出します。

幸せにする言葉の発明。

昨日、とある取材先で、
きょろきょろあたりを見渡していたら、
面白いネーミングのビデオを
発見しました。

「すわろびくす」。

なんでも、
その名の通りイスに座ったままで
行えるエアロビクスだとか。

後でよく調べてみると、
身障者にも
楽しくできるということで、
いろんなところで
取り入れられているみたいでした。

ネーミングというのは、
本来、
その製品やサービスの機能を
わかりやすく伝え、
「売れるため」にも
大きな役割を果たします。

でもこの「すわろびくす」は、
そんなネーミングの役割を
さらに超えて、
身障者から見た運動に対する障壁を
ひょいっと、取り除いて
くれているような気がしました。

誰かの毎日を、
ちょっと幸せにしてしまう
言葉の発明。

素敵な仕事です。

見習わないと。

戦場。

ちょっと用があって、
仕事のあいまに
スーパーに行った。

来るたびいつも思う。
ここは、販売促進ツールの戦場だ。

POP、
売り子さんの声、
ポスター、
商品パッケージ、
ディスプレイ、
試食、
店内アナウンス、
クーポン、
陳列の仕方、
などなど。

これらの武器を総動員させて、
スーパーは、
主婦の皆さんたちのハートを
射抜こうとする。

しかし、
そこは目の肥えた主婦の皆さん、
浅はかな戦法は、
あっさりと見抜いてしまう。

熾烈な闘いに生き残ったツールだけが、
商品を、売ることに成功する。

販売促進のあらゆることがつまった空間、
それが、スーパー。

販売促進は、
いわゆる、広告のなかでも
最前線での闘いに位置すると思う。

僕は、料理をしないので
闘いにはあまり参加しないけれど、
観戦してるだけで、
倒れそうなくらい参考になっちゃうのだ。

広告担当者賞。

あたりまえのことですが、
制作者だけで
広告はつくれません。

クライアントがいて、
初めて広告が生まれる。

だから
優れた広告の功績は、
クライアントの中の担当者にも
必ずあるはずだと思うのです。

制作者が出したアイデアの価値を判断し、
発動のスイッチを押すキーマン。

その存在は、
広告の行方を左右するだけでなく、
企業の未来も左右します。

そう考えると、
広告賞とともに、
クライアント担当者賞というのも
あってもいいんじゃないかと
思ってしまいます。

(虎)